平成の終わりに、平成を振り返る
色々な数字で振り返る
集団の中に埋もれる時代から、個が解放される時代へ
解放された先に、何を見るか
退位礼正殿の儀をテレビ中継にて拝し、また平成から令和への世間の受け止めを見るにつけ、日本国としての国の民としての繋がりはなお健在であることを感じます。
さりとて、インターネットとスマートフォンなどの普及で人々のコミュニケーションの方法や、コミュニティのあり方が変わる中で、「私たち/我々」という認識も変化してきているでしょう。
SNSで人との出会いの機会は大幅に増え、一方で関係性が深まる機会は減少し、「人間関係のリセット」という表現も出てくるような時代になりました。
現役時代の大半を過ごし、生活の中心ともなっていた「会社」もまたコミュニティとしての機能を喪失し、雇用の非正規化や転職へのハードルが下がることによる人材流動化が進み、会社への帰属意識も希薄化してきました。
一方で、家族も会社もネット上のコミュニティも、自分の身に万が一のことがあった時、それを支えてくれたり守ってくれたりする存在でもないとすれば、自分の身は自分で守るという「自由」の代価が生じてきます。
何か「帰属」することによる不自由と、その不自由から逃れて「個」としての解放を意図してか意図せずか図った結果、私たちは「自己責任」で生きる社会へと踏み込んだのではないでしょうか。それが「平成時代」の大きな変化なのではと思います。
日本経済はどこへ向かうか
平成時代を通じて、我が国はGDPで世界第3位の経済国(1位はアメリカ、2位は中国)の立場を維持し、実質GDPも成長を続けはしました。
しかしながら、失われた20年とも30年とも言われる低成長時代を経て、日本のプライドであった「ものづくり」の地盤沈下や、IT分野で世界をリードする企業がないといった現状に至りました。
携帯電話もインターネットサービスもガラパゴス化から逃れられず、それは内需によってだけでも世界有数の経済規模を有してしまう我が国の宿命なのかと思いますが、「若者の○○離れ」(そしてお金の若者離れ)に象徴されるようにその内需も縮小していくとなれば、果たして令和時代はガラパゴス化すら許されない時代になるのかもしれません。
新しい価値を生み出すのではなく、コストを下げて低価格化することで競争を勝ち抜こうとした、短期的な経営の視点が大企業を中心に蔓延し、支払った人件費が巡り巡って消費に繋がるという経済の基本的な仕組みが忘れ去られた時代でもありました。
内需にしがみつくことも出来ず、イノベーションもなく国際競争力を失う中で、平成時代になんとかうわべだけは取り繕った産業も、もはや屋台骨から崩れ落ちるのもまた令和時代の日本経済なのかも知れません。
「自分たちが時代を変える」と言える時代に
平成時代は、とにかく目まぐるしく社会が変化する出来事が相次ぎ、SFの中の出来事だったであろうテクノロジーもどんどん実現、あるいは実現の目処が立ってきました。ビジネス書に「AI」がこれほど当たり前に使われる時代が来るとは、3年前には一般に予測で気はしなかったでしょう。
改めて思い返すと、この30年間の社会変化は日本人が自らの手で作り上げたというより、どこからかやってきて知らぬ間に変わっていったような印象を強く持ちます。「私たちの意志で選び取って変えた」と言えるような社会では、なかったように思います。
これを書いているうちに23時半を過ぎ、間もなく平成から令和へと時代が変わります。
平成から令和へと変わるこの機会は、近代日本において初めての「意志」による移り変わりが行われます。それによって始まる令和時代は、「自分たちが時代を変える」と言える時代にしましょう。
平成31年4月30日