ちばえこ日和

日本初の博士(公共学)という学位を持つ大学発ベンチャー「千葉エコ・エネルギー株式会社」の代表が、自然エネルギーのことから地域活性化まで様々な話題をお届けします。

平成の終わりに、平成を振り返る

1989年に始まり2019年に終わる平成の時代、平成最後の日に振り返ろうと思います。
 
この30年間がどのような時代だったかは、テレビを中心に様々なメディアで報じられるものを見て、ここ数日思い返しますが、私が現在取り組んでいるエネルギーや農業の観点から振り返ると、とにかく「激動」の時代でした。

色々な数字で振り返る

30年前、住宅用太陽光発電もまだ市場には出ていませんでしたが、今ではあらゆる場所に太陽光パネルが設置され、平成の初めにはほぼ0と言って差し支えなかった太陽光発電は、2019年現在約5,000万kWに迫る導入量です。
 
1990年代に地球温暖化という言葉が使われるようになり、この30年の間に「気候変動」へと捉え方が変わってきました。
 
原子力発電所は新設が続き、2000年前後には全発受電電力量の34%を占め、一頃は国内の電源の50%を賄うという政府計画もありましたが、現在は設置されている発電所の4割が廃炉決定または検討中です。
 
農業就業人口は1990年の485万人から、2018年には175万人に減少しました。
 
農地面積は1989年の528万haから、2018年には444万haまで減少しました。
 
実質GDPは1989年の387兆円から、2019年には539兆円へと増加しました。
 
一次エネルギー国内供給量は1990年の13,020PJから、2017年には13,320PJへ増加しました。(2005年にピークアウト)
 
人口は1990年の1億2,361万人から、1億2,623万人へ増加しました。(2004年にピークアウト)
 
などなど、数字を並べるとキリがないですが、経済的にはおそらく発展してきたであろうこと、人口動態は平成時代の半ばにピークアウトし減少に転じたこと、一方でエネルギー構造や農業を巡る動きは目まぐるしく変わってきました。
 
自分たちの身の回りの生活は新しい技術の導入によって利便性が向上し、その中でライフスタイルも変わり、都市への人口集中と地方の人口減少、コミュニティを維持できなくなった集落(都市部でも同じ)、婚姻率や出生率の減少など、ここも目移りしてしまうくらいの変化があります。 

集団の中に埋もれる時代から、個が解放される時代へ

ここまで色々と書きながら、改めて平成時代の変化を考えると、組織化されたもの・集団化されたものから個人が解放、あるいは離脱していった時代だと思えます。
 
近所付き合いのある最も身近なコミュニティから離れ、家族からも離れ、結果として「個」としてありたいと振る舞う中で、人と人の関係性によって支えられてきたセーフティネットや相互扶助からも離れたことで、「孤独」のリスクが浮き彫りになってきたように思います。
 
人と人の社会的な関係性が希薄になり、行政が対応すべきだという意識が高まり、また自らの手で社会を変えようという意欲も若い世代を中心に削がれてきたのではないでしょうか。
 
これを書いているのは4月30日の16時台、間もなく今上陛下の退位礼正殿の儀です。
 

解放された先に、何を見るか

退位礼正殿の儀をテレビ中継にて拝し、また平成から令和への世間の受け止めを見るにつけ、日本国としての国の民としての繋がりはなお健在であることを感じます。

さりとて、インターネットとスマートフォンなどの普及で人々のコミュニケーションの方法や、コミュニティのあり方が変わる中で、「私たち/我々」という認識も変化してきているでしょう。

SNSで人との出会いの機会は大幅に増え、一方で関係性が深まる機会は減少し、「人間関係のリセット」という表現も出てくるような時代になりました。

現役時代の大半を過ごし、生活の中心ともなっていた「会社」もまたコミュニティとしての機能を喪失し、雇用の非正規化や転職へのハードルが下がることによる人材流動化が進み、会社への帰属意識も希薄化してきました。

一方で、家族も会社もネット上のコミュニティも、自分の身に万が一のことがあった時、それを支えてくれたり守ってくれたりする存在でもないとすれば、自分の身は自分で守るという「自由」の代価が生じてきます。

何か「帰属」することによる不自由と、その不自由から逃れて「個」としての解放を意図してか意図せずか図った結果、私たちは「自己責任」で生きる社会へと踏み込んだのではないでしょうか。それが「平成時代」の大きな変化なのではと思います。

日本経済はどこへ向かうか

平成時代を通じて、我が国はGDPで世界第3位の経済国(1位はアメリカ、2位は中国)の立場を維持し、実質GDPも成長を続けはしました。

しかしながら、失われた20年とも30年とも言われる低成長時代を経て、日本のプライドであった「ものづくり」の地盤沈下や、IT分野で世界をリードする企業がないといった現状に至りました。

携帯電話もインターネットサービスもガラパゴス化から逃れられず、それは内需によってだけでも世界有数の経済規模を有してしまう我が国の宿命なのかと思いますが、「若者の○○離れ」(そしてお金の若者離れ)に象徴されるようにその内需も縮小していくとなれば、果たして令和時代はガラパゴス化すら許されない時代になるのかもしれません。

新しい価値を生み出すのではなく、コストを下げて低価格化することで競争を勝ち抜こうとした、短期的な経営の視点が大企業を中心に蔓延し、支払った人件費が巡り巡って消費に繋がるという経済の基本的な仕組みが忘れ去られた時代でもありました。

内需にしがみつくことも出来ず、イノベーションもなく国際競争力を失う中で、平成時代になんとかうわべだけは取り繕った産業も、もはや屋台骨から崩れ落ちるのもまた令和時代の日本経済なのかも知れません。

「自分たちが時代を変える」と言える時代に

平成時代は、とにかく目まぐるしく社会が変化する出来事が相次ぎ、SFの中の出来事だったであろうテクノロジーもどんどん実現、あるいは実現の目処が立ってきました。ビジネス書に「AI」がこれほど当たり前に使われる時代が来るとは、3年前には一般に予測で気はしなかったでしょう。

改めて思い返すと、この30年間の社会変化は日本人が自らの手で作り上げたというより、どこからかやってきて知らぬ間に変わっていったような印象を強く持ちます。「私たちの意志で選び取って変えた」と言えるような社会では、なかったように思います。

 

これを書いているうちに23時半を過ぎ、間もなく平成から令和へと時代が変わります。

平成から令和へと変わるこの機会は、近代日本において初めての「意志」による移り変わりが行われます。それによって始まる令和時代は、「自分たちが時代を変える」と言える時代にしましょう。

 

平成31年4月30日